巡礼と宗教

熊野古道の巡礼は、昔は天皇が仏の心を証明するため、仏に近づきたい思いから熊野行幸が始まったのだと思います。熊野三山は元々地元に住む人々が自然崇拝の対象として川、滝、巨岩という人間が侵さざる領域を神とし、社を建てられました。その永く祭られた聖域に近づくことが仏に近づくことだったのだと思います。

 

特に熊野は太古の昔、天皇の先祖が政権を取るために辿った道であり、原点回帰の意味もあったのかもしれません。ですから神道の原点でありながら時代を反映して信仰心の現れ、仏に近づくことだったのだと思います。

熊野カルデラによる巨岩や温泉なども手伝い、また熊野は台風や洪水などもあり、より神秘的な雰囲気を作っています。

 

天皇が仏教に心酔するあまり、神道の神々はインド由来の謂れまで作ってしまいます。

それが本地垂迹説です。

熊野信仰の神仏混合の特徴だと思っています。

 

 

また熊野は神話上黄泉の国に近かったことから、中世の浄土への憧れにもなりました。

末法思想から浄土への憧れは「蟻の熊野詣」繋がりました。

 

ですから熊野三山の巡礼は神仏混合ですが、熊野大社自体は自然崇拝の神道的な立場にありながら、

巡礼は仏教的な色彩を帯びるのです。

 

この複雑さは時代の中を生き抜くのに利用され、

また社家(神道側)と別当(仏教側)の争いを生んできました。

 

そして明治になり、神仏混合のガラパゴス的な信仰形態を、

西洋に対する恥と考えた新政府が「神仏分離」を行います。

 

これはキリスト教に対する恐怖から平民を全て檀家に帰属させた仏教が官僚化し、

退廃していたことも原因らしいです。

 

天皇体制にとって廃れた仏教は排除すべきものでした。

その時、山伏や陰陽寮など修験道も排除されました。

 

昭和初期にほとんど巡礼が残っていなかったのはそのためだと思っています。

 

サンティアゴ巡礼はキリスト教の巡礼です。

9世紀、10世紀ごろキリストの聖遺物が神格化される中で

ヤコブの聖遺物が見つかったサンティアゴ大聖堂は、イスラム教が拡張する中で

レコンキスタ(国土回復運動)の拠点となります。

その後の十字軍などイスラム勢力と対抗するためのシンボルとなりました。

 

キリスト教のために奉仕することは贖罪につながるとして巡礼は免罪符を発行してもらうために

歩く人が増えたそうです。サンティアゴに行ってキリスト教を守る十字軍の騎士になるんだ!

子どもならヒーローになれそう憧れを持ちそうな英雄譚ですね。

 

免罪符ですから悪いことした人が罪を逃れるために歩いたりすると、当然巡礼する人の質は下がりそうです。

のちにこの免罪符はキリスト教に寄付した人にも発行されます。

莫大な寄付が集まったそうです。

熊野古道の熊野牛王神符にちょっと似てますね。

 

免罪符を金で買えるようになると教会は堕落します。

これがルターの宗教改革を生みます。

プロテスタントが巡礼を否定するのはこの歴史があるからだと思います。

 

今のサンティアゴ巡礼は免罪という意味は薄れ、マインドフルネスの一環ではないかと思います。

歩くことでリトリートメントされる、現代社会のストレスを自然の中トレッキングすることや

他の巡礼者と交流することで気持ちが回復するんだと思います。

 

熊野古道も同じです。宗教的な意味合い、怪しさは薄れて山岳信仰の自然に対する畏敬の念を持ちながら

山道へ歩を進めると、心の自発的な内省を得られる、禅やマインドフルネス瞑想に近いと感じています。

 

宗教も現代社会の中で科学技術が発達し、AIや生命科学など倫理が問われる時代になってきました。

 

巡礼と宗教は時代を越えてその社会で必要とされる形に変わりながら次代へ受け継がれるべきものだと思います。