熊野古道を歩くという事

熊野古道を歩く。巡礼する。という事について話します。

これは本当にいろんな見方があると思います。

私なりの受け止めたものです。

 

このブログではいろいろな熊野古道の歴史について言及してきましたが、

はっきり言って知らなくて全然大丈夫です。熊野古道は感じるものだと思います。

 

熊野古道を歩きます。はじめは滝尻王子から。

王子舎の裏側に登山口に行くと、かなりの勾配にびっくりすると思います。

歩きながら、この道は千年続くのかぁとか思います。

始めの2時間でたった三キロの道がどれだけ辛いか感じます。

これがあと何十キロも続くのかと暗澹たる気持ちになります。

 

山を登るなら頂上があります。目指すゴールに対して何メートル登ったのか指標になります。

巡礼はそれがバグります。

何度も登り下りしているうちに、自分がどれだけ登ったのか、道を進んだのか、あとどれくらい行くのか。

巡礼は山登りとはちょっと違う、精神的に何か自分を試されているかのような気持ちになります。

 

歩きながら、時々王子舎に手を合わせて祈ります。だんだん自分がシンプルになっていきます。

瞑想や座禅に近い状態になります。

 

巡礼した人、巡礼している人との対話は、時にいろいろな示唆を与えられます。

長時間歩いている間に内省的になった人との交流は、お互いに感受性が高い状態で話しているのかもしれません。

これも巡礼の醍醐味だと思うんです。

 

熊野古道を歩いていて、厳しい自然に神を感じることもあります。

太古の昔、神様は雲の上にいると信じられてきたようです。

 

熊野では山並みから大きな水蒸気が登り、まるで雲を産み出しているかのようです。

分厚い雲に山頂部分が覆われていることがあります。

雲の上から神様が山に下りてきたことを想像するかもしれません。

 

雨上がりの朝の雲海。また、霧の中で木立の間から日を浴びると神秘的な光景が広がります。

コドビキ岩や橋杭岩、円座石などの巨岩、那智の滝や鬼が城などの熊野カルデラが作った地形の神秘。

熊野は神を感じやすい場所だと思います。

 

是非、頭で考えずに熊野のいろいろな所を肌で感じてみてください。