熊野古道と浄。
浄は英語で「pure」と翻訳されます。浄土信仰は「Pure land buddhism」。
でも「pure」って単語はもっと純粋とかそんな意味だと思います。
「浄」は純粋というより、争いを洗い流すサンズイですから洗い清める感じです。
washという単語が思いつくんですが、Wash breinは「洗脳」なので、英語の語感だと洗うことは根幹であるアイデンティティまで洗い流してしまうのかもしれません。
なのでsharpが「研ぐ」だといいと思います。
熊野古道で「浄」というと「老若男女を問わず、貴賤を問わず、浄不浄を問わず、信不信を問わず」という言葉が有名です。
つまり巡礼、信仰の道だけどどんな方でも熊野へ来てください、という精神です。
これは一遍上人の念仏札を渡す説話の中で「浄不浄を問わず、信不信を問わず」念仏札受け取っていいんですよ。という所から始まったのだと思います。
また、和泉式部の熊野詣にも「浄不浄を問わず」の説話があり、和泉式部が伏拝王子まで巡礼したさい、月の障り(生理)になってしまいましたが、夢に熊野権現が出てきて「月の障りでも参拝して大丈夫」とお告げしたそうです。
和泉式部自体は平安の歌人ですが、この説話は中世の頃に有名になったようです。
平安時代、それも上皇が行幸したころは、熊野へ巡礼する時はとても浄を求めていました。
精進潔斎、つまり精進料理を食べ、水垢離をして行きました。
これは時代背景として平安の頃は疫病を恐れていたのだと思います。
疫病は魔物でした。しかし平安の都は下水などの水のインフラが人口集中で汚染され、度々疫病に見舞われました。
それに反し熊野は人が少なくて雨が多く、すぐ洪水して厳しい自然の中、常に洗い流された清浄な地で、それを都の人間が汚してはならない、と厳格な精進潔斎(でも魚の鱸は食べてよかった)だったようです。
それが平安末期に末法思想が現れ、浄土へ行きたいという民衆の想いが強くなります。
南無阿弥陀仏と唱えれば浄土へ行けると説いたのが浄土宗です。
そして一遍上人はその浄土宗から発展して熊野詣の途中で熊野権現から託宣を受け、念仏札を配ります。
この時宗の広がりが熊野本宮から始まったこと、そして平安の上皇が精進潔斎して浄めて参拝した本宮大社がきっと浄土に近いに違いないと考えらえ、熊野詣が浄土信仰と結びつくことになったのだろうと思います。
平安末期、天皇中心の政治が退廃し鎌倉時代へと移っていく中で、
熊野本宮大社は朝廷から与えられた荘園経営の収入が地頭の設置によって断たれます。
そこに一遍上人の時宗によって民衆からの熊野詣が急激に広がります。
荘園経営が成り立たなくなってしまった寺社はこの参詣する民衆からの寄進によって運営されるようになります。
その時に、厳格な精進潔斎は民衆を呼び込むうえでハードルとなってしまうのです。
そこで誕生したのが上記の説話で、浄土への憧れをもつ民衆が巡礼しやすいようになりました。
これが中世の「蟻の熊野詣」に発展することになります。
この民衆が熊野詣に行くように宣伝活動したのが熊野比丘尼だったり聖だったのだと思います。
