巡礼宿 浄がオープンしてホームページをご覧になる方が増えています。
それに伴って、 このブログをご覧になる方も増えているようで嬉しい恥ずかしいで す。
まだブログについてはカテゴリ分けして見やすくするとか、 写真も掲載するとかしなきゃいけないのですが、 今のところ雑多に吐き出しているに過ぎない状況で申し訳ないです 。
熊野古道のことについても触れていますが、改めて私見です。 本や他の方のサイトなど二次情報を読んで私がイメージしているに 過ぎません。
熊野古道は広大な地域の千年に渡る情報です。
紀伊路、中辺路、大辺路、小辺路、伊勢路など、 道の歴史の変遷もそれぞれです。
仏教の部分と神道の部分、修験道の部分も混在しています。
それぞれのストーリーがあります。
また、 時代によって参詣道だったのが小栗街道などの呼び方から察するに 湯治への道だったこともあります。
これは時代によってくっきり入れ替わったわけではなく、 人々はそれぞれ様々な想いを持って熊野を目指したのですが、 時代によってニーズが変化した事を示していて、 例えば修行としての巡礼は何百年も変わらず受け継がれていたでし ょうし、熊野は常にいろいろな旅人を受け入れ、 旅人を魅了してきたのだと思います。
ただ熊野は、天皇を中心とする貴族の世の中から源平、 武士の世に変わったり、徳川幕府が成立したり、 政治の世界と無縁ではありませんでした。
天皇の頃は荘園を運営して熊野行幸を受け入れる事で荘園を寄進し てもらいましたが、 鎌倉以降は巡礼の寄付だったり熊野川の渡船料が大きな収入だった と思います。
熊野比丘尼や聖の活躍もそういった世の中の変遷に対する生き残り 策と言うか、ニーズの変化に対応していった結果だと思うのです。
そして近代、明治維新の西洋化政策の中で、 廃仏毀釈運動が起こり( 江戸期もだいぶ仏教から神道へ変化しつつありましたが)修験道禁止令などもあり 巡礼はほぼ全滅します。
戦後、 日本の文化が見直される中で「熊野古道」という言葉ができたんだと思 います。
(それまでは熊野詣とか熊野道であり、古道という言葉は昭和の頃に道が舗装される中で舗装されてない昔の道、古道だと思います)
その後、熊野古道は細々と日本文化の見直し、復興という流れて復活していき、詳細は省きますが日本遺産、世界遺産への登録と繋がります。
この世界遺産の登録というのを契機に、世界から見た熊野古道の価値というものが見いだされていきます。
それが田辺市を中心としたインバウンド観光を目標としたプロモーションの始まりです。
2004年の世界遺産登録から5年、田辺市熊野ツーリズムビューローが発足し、2011年の紀伊半島大水害を乗り越えた後、日本全国の外国人観光客へのプロモーションとともに、熊野古道は注目されました。
それから15年の歳月の間に熊野古道はすっかり外国人観光客の有名スポットの一つとなったと思います。
私が来た約10年前は単に一部の宿泊施設不足でしたが、今はあらゆる外国人観光客のニーズにインフラが追い付かなくなってきています。
今は特にバスなどの山間部の交通インフラが変革を迫られています。
朝の山間部へのバスは増便され、田辺市本宮町ではライドシェアの実証実験が始まっています。
人手不足も顕著になり、新宮市街地より本宮町の方が時給が高い求人も珍しくなくなりました。
私が拠点を構える新宮市熊野川町の小口という集落もその山間部の一つですが、繁忙期は毎朝貸し切りのタクシーが新宮方面から小口へ走っていくのを見ます。新宮駅から小口まではタクシーで1万円以上します。
宿泊施設不足の深刻さがうかがえます。
こうした外国人観光客の熱狂も、熊野古道の歴史の一つとなって未来につながっていくと思い、こんなブログをしたためている次第です。
