先日、岐阜県の人気トレイルスポット「中山道 馬籠宿」から「妻籠宿」を歩いてきました。
最初熊野古道で外国人のお客さんが「中山道を歩いた」と聞いて、どこを歩くんだろうと思っていたのですが、岐阜県の江戸時代の情緒が残っているトレイルだとの事で、ずっと気になっていた場所でした。
中山道、「なかせんどう」と読みます。昔は「中仙道」だったそうですが、江戸時代に5街道として整備される中で人偏がなくなったけど読み方は以前のまま残ったので「中山道」と書いて「なかせんどう」と読みます。
中山道は江戸から京都を結ぶ街道で、江戸時代に戦乱が収まった後、整備された道です。
東海道が53次という宿場町を整備しましたが、中山道は69次あります。馬籠はその43番目の宿場です。江戸から数えて43番目でしょう。たぶん。
日本のお客さんの中にも「五街道」を全部歩いた人がいましたが、中山道を全部歩く人もいれば、この馬籠ー妻籠間だけ歩いたり、その前後の落合や奈良井なども併せて歩く人もいるみたいです。
馬籠宿ー妻籠宿は約8キロの行程で馬籠峠を越えるルートです。歩行時間は2時間半から3時間が標準だと思います。
好みだと思いますが、馬籠宿から歩く方がお勧めだそうです。馬籠宿からだと最初の約2キロが急登で、主に石畳とアスファルトの上を歩きます。峠を過ぎるとトレッキングの道(舗装されてないので足に優しい)になります。
約6キロかけて妻籠宿までゆっくり降りる感じになります。
熊野古道との共通点で感じたのは、
①まず、ここは国道を整備するときに別のルートが採択され、(トンネルを掘ることでもっと効率的なインフラが実現するため)江戸期の道路がそのまま保存されることになった。
②江戸期に整備された道は石畳になっていて、草鞋だと特に歩きやすいが、ゴム底のトレッキングシューズやスニーカーだと雨に濡れている場合滑りやすい。
③妻籠宿は昭和43年に全国で初めて街並みを保存する活動を行った集落だそうだ。
これは熊野古道を復活させようとした時期と重なる。
この昭和43年というのは佐藤内閣の時代で、まさに高度成長期真っ只中でした。戦後インフラの整備に努めた結果、都心に人が集中する時代。恐らく急激な過疎が問題になった時代なんだと思います。その中で、急速に中山道の他の宿場町が現代の国道や新幹線などインフラの整備で新しくなる中、宿場町としての旧来の性格を失いつつあった妻籠宿は、街並みの景観保存活動を行ったのだと思います。
この中山道の馬籠宿、妻籠宿は江戸時代の街並みが残っている素晴らしい風景だと思います。
しかし、実は馬籠宿は明治後の2度の山火事によって街並みのほとんどは焼けてしまいました。
それを地元の人たちの努力により復興させたのです。
それが街並みにも少し現れています。最初訪れた馬籠宿は江戸時代の街並みを再現しつつ新しい銘菓や建物も少し古民家風だけどモダンな雰囲気です。石畳や敵の侵入を防ぐための桝形など江戸時代の基本設計の上に今の人に受ける物をうまく組み合わせていると思います。
特に近年の外国人観光客に向けて英語の看板などもしっかり設置されています。
それに対して妻籠宿は昭和43年の街並み景観保存をベースにしています。江戸時代の建物も馬籠より残っており、それを保存しているのですが、保存の仕方が昭和っぽいです。
でも、馬籠のおしゃれな江戸時代風古民家よりも本物が残っていて興味深いです。
そういう意味で両方の町の保存の仕方、プロモーションが大変興味深かったです。
私は思ったのは、、熊野古道でも、ただ今ここに残っているものを保存させるだけでなく、歴史の資料を基に復活させるだけでなく、今の時代に求められているものを取り入れながら、日本の文化を発展させる形で新しいものを創っていくことが熊野古道を未来の世代に残すために必要なことではないかと思っています。
