江戸時代の目を見張るのは水運の発達による商品経済です。
私はこの熊野に来て、熊野の杉が線香の材料になっていることを知りました。
熊野にはいくつもの水車がありました。その水車のうちいくつかは、線香を作るための物です。
熊野では杉や檜を伐採すると、そこから木材だけではなく、いろいろなものを産出します。
樹皮は屋根を葺くのに使います。この檜皮葺というのはどうやら日本古来らしいですね。
外側の丸い部分は桶を作ります。
そして枝から葉を落として乾燥させ、水車で挽いて粉にするのです。
紀州ではこの線香水車が盛んでした。水車の歴史に詳しい方にお会いしたことがあります。
その鈴木さんの家は廻船の家でした。
「紀州から江戸に木材を運んで、帰りに大阪へ向かうときに運ぶ荷物が必要だったのです。」
とおっしゃっていたことが印象的でした。
つまり、船の定期便を運航する上で、船に荷物がないとその分利益を逸してしまう。
その為に大阪方面に運ぶ荷物として考え出されたのが線香を作る粉だったのです。
線香を作るための粉を堺、または淡路へと運びます。
現在でも淡路は線香の一大生産地です。
鈴木家の水車がある熊野市新鹿は伊勢路の八鬼山の麓です。
線香を作る杉葉を運ぶのは女性の役目だったそうです。
伊勢路の八鬼山越えでは、この杉葉を運ぶ女性の列というのが伊勢路の一つの光景だったそうです。
時は下って昭和18年にこの線香作りから除虫菊の粉を混ぜたのが蚊取り線香です。
作ったのは有田市に住む上山栄一郎という人で、金鳥の創始者です。
和歌山って本当にイノベーションの盛んな所だったのだなぁと思います。
