小学生の頃、友達の家に行ってたむろしながら読んでいた漫画の一つに横山光輝の「三国志」があります。昭和50年代の男性には一種のバイブルみたいな本ではないでしょうか。
赤壁の戦いで、孔明が祭壇を作り、その季節には珍しい東南の風が吹くのを予言します。
果たして3日のうちにその風が吹いた時、追い風に乗じて曹操軍の船団へ火矢を放ち、船団を壊滅するのです。
敗走する曹操を趙雲や張飛が伏兵をして追撃し、最後関羽がボロボロになった曹操と対面する。しかし関羽は一度は曹操に救われた恩を返すべく、曹操を逃がしてしまう。
孔明はその逃がすことまで計算に入れて、恩返しをさせることで今後の討伐にけりをつけられるようにしました。子供の頃はそんな軍師孔明に強い憧れを持ったものです。
孔明の自然をさえ操ってしまう物語は劇的で、まさに軍神のようです。
風の谷のナウシカが小型のグライダーのような「メーヴェ」で空を滑空する様を見たユパが、「いい風使いになったもんじゃ」とつぶやくシーン。自然の中で感覚の優れたものは風を操ってあんな小形の乗り物で飛空戦艦の攻撃をかわしてしまう。かっこいいですよね。
人々は自分が普段感じない自然の移り変わりを鋭敏に察知して、それを利用したり対処したりする人を見て、神に通じる力を持っているのではないかと錯覚するんだと思います。
時には動物のそういう危険察知能力をみて、同じように神の力を感じるかもしれません。
いわゆる陰陽師や山伏というのは、その自然を感じる力を最大限に発揮するための修行や見識を持っている集団なんだと思います。
これは、山で作業をされている方たちも、時にそんな能力を持っていると思います。
移住したばかりの頃、秋の祭りに生け花の先生を呼ぶから、活ける材料として花や紅葉などを取ってくる地元のおじいちゃんたちに同行したことがあります。
おじいちゃんたちにはリーダーがいて、そのリーダーを含めて10数人が軽トラ数台に分乗して草木を取りに行きます。集落の端にあるトンネルの前には「立ち入り禁止」の看板。
そこを何の気なしに入って行きます。都会人の僕は何が始まるのかよく知らされてません。
10数キロもの間一本道で、次第に果無山脈の登山口に着きました。
リーダーが仲良しじいちゃんたちに山のどこに目指す「ドウダンツツジ」があるのか、この近くの麓にはちょうど使い勝手のよさそうな苔があるから集めてこようとか指示を出していきます。
まるで世間話をするようなフラットな関係の会話ですが、やはりリーダーが一番山の様子が詳しいです。
「あの辺は谷筋だからもう少しさきの日当たりのいいところがよく成長している」
「あそこらは前に見たけどあかんかった」
などと言いながらそれぞれ軽トラ2台くらいずつ3方に分かれて作業を始めます。
2時間もしないうちに軽トラの荷台は彩りよく花満開になります。
それを悪くならないように河原に持っていき、切っ先を川面につけて作業終了です。
やはり毎日山に入って広大な山の植物や気候の情報を経験則で蓄積しないとできない業でした。
その後、僕は宿を開業し、毎日店の前を掃除するようになりました。
最初はホウキだったんですが、あまりにも非効率的なので、エンジンブロアを使うようになりました。
過疎の山間地域は自分の家だけでなく、その周りも掃除しないと結局自分の家が汚れることになります。
斜面にひっそりとある家の上に熊野古道があり、古道の掃除も兼ねています。斜面に対して上からブロアをかけていき、がけ下に埃や落ち葉を落としていきます。
お客さんを送り出して掃除を始めると大体9時前後からブロアで掃除するんですが、9時は季節によって上昇気流が強く、ブロアの風で落とした落ち葉などがその上昇気流で舞い上がったりします。
洗濯物を干す妻にこっぴどく怒られるわけです。
風は、上下だけでなく左右にも吹きます。庭の埃などを風で吹き飛ばしながら、その埃がどう風に影響するのか見極めて掃除するプランを調節します。
山間地では自然の影響が大きいです。都心のように何でもコンクリートとアスファルトで厚化粧していないので、自然を読み、暮らしていくことになります。
安倍晴明の腰掛石というのがあります。
本当に安倍晴明が名付けたのかはともかく、安倍晴明(なのか山伏なのか陰陽師が)当地を通り過ぎるとき、近隣の住民が「ここは山崩れとかあるんじゃないかと心配だ」とその晴明に相談したところ、この石に腰かけて呪文を唱えたと言われる石です。
よく見るとこの石、熊野のあちこちにある奇岩とよく似ています。おそらく熊野カルデラの火山岩なのではないかと思うのです。
熊野を駆け回っている山伏たちは、地元の人たちと違って諸国を回り、この石が他地方ではゴトビキ岩のように信仰の対象になっている岩と、岩の質がひていることに気づいたんだと思います。
そこで祭壇を設け、ご祈祷することで念を入れ、「安倍晴明の腰掛石」という名前を付けさせたんだと思います。
陰陽五行というのは、自然のそういう成り立ちを自然の中で彼らの感覚で分類したものではないでしょうか。
陰陽は恐らく古代人が日の出と日没、新月と満月、干潮と満潮、海風と陸風、どうやらそれらは関連しあっていながら独特のリズム(周期)があるらしい。という事に気づく所から始まるだと思うんです。五行はご存じの通り火・水・木・金・土ですね。
5つの元素によって自然は成り立っていると考えられました。
つまり。山伏と陰陽師は山で修行することによって自然と調和し、常に自然の前線で様々な地を巡りながら精神を統一し、精進潔斎することで自然の理に近付くことが目的なのではないかと思うのです。それは現在で言う科学者のような存在だと思います。
彼らはいわゆる知識層でした。地元住民が知らない知識を携え、困りごとを解決するための力を持っていると考えられました。それは気象、災害の予知と予防、飢饉の備え、新しい知識の導入、神との対話、医療に至るまで多岐にわたります。
それは、恐らく風の谷のユパとナウシカの父ジルとの会話のようなことが、集落の長と山伏との間で行われたんだと思います。他地域の災害の有無、獣たちの動き、気象の変化。「雲行きが怪しい」という言葉は、そういう会話の中で産まれた言葉なんでしょう。
さらに他集落の作物の出来、不出来、新しく始めた作物や新しい技術、道具なども欲しい情報です。もし近隣の集落で火事や災害など飢饉が起きた場合は、自分の集落もあらゆる備えをしなければいけません。食べ物がなければ奪いに来る可能性だってあります。できれば平和的に融通しあいたいですが、その集落の長がどんな人物かも知らなければなりません。
こうして、山伏や陰陽師は集落同士の情報集め、つまりスパイだったり外交の役目を果たしたのだと思います。日本で普通、こうしたスパイ活動を行ったことで有名なのは伊賀や甲賀といった忍者です。
和歌山での有名な忍者は雑賀衆がそうだったようですが、恐らく諜報活動と外交という意味では山伏が果たした役割は大きいと思います。
特に、平家打倒を呼び掛けた新宮行家の活動は以仁王の令旨を紀伊半島一円にもたらしました。時代を下ると護良親王が鎌倉幕府打倒の勢力づくりをした時も山伏の活動が大きいと思います。
織田信長が本願寺一向宗の包囲網に悩まされたのも山伏の活動ではないでしょうか。
