熊野古道と仏教
熊野古道は「神仏習合」の文化だという話があります。
ではどの仏教なんでしょう。
紀伊山地の霊場と参詣道に登録されている「高野山」は空海が開いた真言宗です。
空海は中国に留学してますが、朝廷から認められた官僧ではなく、自費で渡った私僧だったそうです。延暦寺から認められて等に渡った最澄は国費で留学しているのでライバルみたいな関係ですよね。空海は中国で認められて阿闍梨になったりしています。
空海は語学力も僧としての知識、見識、また建築や諸々の技術の伝来についても、本当に一人でやったのかなと思えるほどの大量の知識と技術と物を日本にもたらしました。
でも朝廷で認められたのは国費で行った最澄の方だったりして、ちょっと複雑です。
最澄はむしろ仏教徒としての空海を先輩として尊敬していた所があり、お互いに書簡でやり取りした記録があるそうです。
まぁとにかく、そんな最澄は延暦寺で天台宗を広め、空海は高野山で真言宗を開祖します。
熊野古道でこの高野山と熊野三山が繋がっています。小辺路ですね。
しかし、熊野古道の歴史で見ると熊野御幸を行った法皇たちは朝廷が認めた(別に真言宗を否定したわけではないのでしょうが)天台宗の方だったんだと思うんです。
実際、熊野御幸の先達を務めた熊野三検校は園城寺(延暦寺から別れた天台宗寺門派)長吏が代々務めています。
園城寺長吏は先達を通してなのか藤原摂関家とつながりが深く、それも一因となって延暦寺とは山門派、寺門派として長く争います。中世の南朝、北朝でも別れて争ったそうですのでかなり長くの間ですよね。園城寺はそれが原因で何度か焼討にあっています。激しいです。
熊野古道と仏教は、結局原始仏教(という言い方は正しくないけど、鎌倉中期くらいまでにできた仏教)の影響を受けた修験道を介して繋がっているという事だと思います。
このころの仏教って、例えば空海が学んだ密教は多分に呪術の要素を持っていますし、中国の道教と対抗する意味で陰陽師の術式などもそうですが、何か超越した力という物を欲していたんだと思うんです。その超越した力を身につけるためには修行が必要でした。
それが山岳修行だったと思います。
