熊野古道の歴史のまとめ

 

 

熊野古道は時代と身分や宗教観によってそれぞれ違う顔を見せます。

 

それは熊野が浄不浄を問わず、信不信を問わない姿勢で多様性を受け入れてきたからです。

熊野古道はこうでなければならない。というのは無いのですが、時代によってニーズが変わってきていて、その人々の思いを寛大な心で受け止めてきた。と言えると思います。

 

また熊野三山は朝廷や世間からは三山という形でセットになっていましたが、元々独立した神社であり、時代の変遷にもそれぞれが知恵を出して生き残っていきました。

これは山間地域での日常的な往来の少なさが独自の文化を形成しあったという良さだと思います。

 

熊野は有史以前、自然崇拝の対象だったのだと思います。それが天皇一族が東征して王朝を建てたあと、熊野という神社になりました。平安時代の皇族にとっては伝説が生まれた自分たちのルーツに繋がる場所であり、疫病など都会の汚染された衛生環境から離れた「みそぎ」の地であり、浄化された場所でした。

出家した法皇としては自分たちの神は仏の化身だと思い、この地で自らの浄化を祈ったのだと思います。

 

そして鎌倉期になると末法思想から救いを求めるようになります。熊野権現は阿弥陀如来の化身(本地仏)であり、その熊野権現の託宣を受けた一遍は「南無阿弥陀仏」の念仏札を手に念仏踊りを踊って衆生に浄土信仰を説きました。民衆は熊野こそ浄土だと思ったことでしょう。