室町時代の熊野古道

前回の投稿は、結局室町時代の熊野古道を書く前の序論で終わってしまいました。

 

熊野古道は1000年の歴史の中で、様々な時代を乗り越えていきます。

室町時代はどうやら歴史の表舞台からは少し遠ざかります。

 

このころ在郷で勢力を伸ばしてきたのは湯河(湯川)氏でした。

中辺路には湯川王子があり、近くには湯川一族の墓があります。

昭和30年ころを最後に廃村になってしまったのですが、当時の住民は近隣の野中や本宮の三里周辺に移住したのだと思われます。

 

信州武田源氏の流れをくむそうです。近所の湯河氏にご縁のある方から聞いた話では、「毛色の違った山賊がいて、それを討伐して名をあげ、勢力を御坊にまで伸ばした」そうです。異人さんだったのでしょうか。紀伊半島には古くから渡来人が来ている歴史があるからそうなるのかはよくわかりませんが、熊野古道を警備していた湯河氏が御坊にまで勢力を伸ばしたというのは、やはり熊野古道沿いに警備する範囲を拡げていったということもあるのかもしれません。

 

新宮の方では熊野水軍をまとめつつあった堀内氏が台頭してきます。しかし、伊勢路の三木城や鬼ヶ城を勢力範囲とした有馬氏とは勢力を争っていたようです。

 

そんな中、成立しつつあったのが「西国三十三か所霊場」です。

西国三十三か所霊場は那智山青岸渡寺を1番寺とし、中山寺を三十三番とした霊場を巡るものです。主に勧進聖、熊野比丘尼をはじめとする諸国巡礼行者が行っていたのがだんだん庶民にも定着していったのが室町時代中期と言われています。

この巡礼は熊野三山を巡るものではないのですが、青岸渡寺から本宮大社の近くを通り(本宮大社は二番札所ではない)紀三井寺へ向かう道でした。

 

中辺路の伏拝王子付近に「三軒茶屋跡」があります。滝尻から本宮へ進む中辺路と高野山から本宮へ進む小辺路が合流する場所で、茶屋が3軒あった休憩地です。

そこに道標があるのですが、「みぎ かうやさん」「ひだり きみゐでら」とあります。

本宮へ向かう道標ではなく、那智から次に目指していたのが高野山か紀三井寺だったことが分かります。