蟻の熊野詣という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
平安時代から徐々に庶民の熊野詣は行われつつありましたが、荘園を失った寺社が戦乱の中、焼討にあった興福寺などを始め、庶民に勧進という形で寄付を求めて回った勧進僧、高野聖など遊行層が全国を回って仏教を広めました。
中でも一遍上人による時宗の広まりが熊野権現のお告げという事で、熊野三山への憧れを強くしたのだと思います。また、熊野比丘尼という熊野三山のいわれを図解とともに説法する尼僧が活躍しました。諸国を回り、絵解きをしながら熊野牛王符と言われるお札を渡して歩いていました。
この中世の熊野詣は、熊野が浄土へ繋がっている、古くから花山法皇などが御幸した地で、ご利益がある、と熱狂的な熊野詣だったようです。また、熊野三山は熊野権現が一遍上人にお告げされた通り「信不信を問わず、浄不浄を嫌わず」の方針で庶民を幅広く受け入れました。和泉式部の逸話では、熊野詣に行くところ、月の障りのせいで熊野に行けなくなったことを嘆いていると、熊野権現が表れて「月の障りがあっても熊野詣でに問題はない」とお告げされたそうです。
このように熊野詣は身分を問わず、女性でも誰でも行け入れてくれる巡礼になりました。
