現在熊野古道中辺路の玄関口になりつつあるJR紀伊田辺駅の前には、武蔵坊弁慶の大きな像があります。
田辺市は田辺市にゆかりがある歴史上の人物として、「武蔵坊弁慶・南方熊楠・植芝盛平」を田辺市の三偉人ということでプロモーションしています。弁慶については諸説ありますが、熊野別当である湛増の子ではないかと言われています。
平家と戦った源義経は幼少のころ、平家に追われて鞍馬寺にかくまわれていたという伝承があり、延暦寺の僧だった弁慶と出会います。義経の才能に惹かれた弁慶はその後主従として仕え、義経が最期を迎えた衣川の戦いまで忠義を貫きました。
その僧兵の代表たる弁慶が義経の使者として熊野に平家打倒の協力要請に来ます。
それまでは平清盛が熊野御幸を通じて熊野と関係を深くしていたため、源氏につくか、平家につくか、重大な決断を迫られていました。
そこで、闘鶏神社において神事として闘鶏を行い神意を問うたところ、源氏側の鶏が勝ったため源氏に加勢することに決めたそうです。
この闘鶏神社も熊野古道の世界遺産の構成資産として近年追加登録されました。
また、新宮十郎と言われた源行家が以仁王の令旨を持って伊勢、河内など京都に近い勢力を平家打倒に向かわせたことも大きな影響があったと思います。
寺社勢力がこぞって平家打倒に向かった背景としては、栄華を極めた平清盛が後白河法皇や関白ら近臣を処罰したことで寺社勢力が反発。それに対して清盛が「南都焼討」という、東大寺や興福寺を焼討にしたことが原因だったそうです。
これにより源氏勢力と結びついた寺社勢力は、平氏を追討していきます。
これによって、今までの荘園を財政基盤にした貴族政治は終焉を迎え、武士の時代となっていきます。
