平安京での生活はケガレが多かった

平安時代の法皇をはじめとする貴族が、なぜ熊野に惹かれたか。

この理由は様々なんですが、一つには平安京が穢れていたからではないかと思います。

 

これは精神的な意味ではなく、(たぶん、当時は精神的穢れと物理的穢れの区別はなかったと思いますが)当時、非常に感染症が多く、その原因として衛生環境が悪かったからという話があります。

 

平安京では、疫病の流行が恐れられていました。特に赤痢は衛生環境が悪い平安京で多く起こっていたようです。

なぜ平安京が衛生環境が悪いかというと、恐らく経済の発達による人口増加だと思います。

 

もともと、遷都する前の平城京でも都市化による衛生環境の悪さから、平安京へ遷都したのだと思います。平城京では水利が少なかったため、下水や生活排水を衛生的に処理できていなかった。その点平安京は水利に恵まれていたので衛生環境は改善したのですが、それ以上に経済が成長し、人口が増加したことで衛生環境は再度悪化した。

 

その結果、現在の発掘調査によると、平安京の出土したトイレから回虫などの虫卵が発見され、その密度は自然汚染の500倍から1000倍だったそうです。

また当時の人が加熱せずに淡水魚や貝類を食していたことも分かったそうです。

 

このことから、平安時代の熊野詣では精進潔斎といい、肉食や酒、性行為を禁止しました。

この感染症を防ぐというか自分の身を穢れから払う意味で、都市生活から離れ、

食習慣や体液を交える性行為を禁じたのかと思います。

また、人口密度が低く、水利も豊富な熊野の聖域では感染症も少なかったかと思います。

 

熊野古道には潮垢離(しおごり)や水垢離、湯垢離など、水で体を清めるところが多く残っています。そのほとんどが中辺路ルートにあり、平安時代は主に中辺路ルートが使われていたという事だと思います。

(伊勢路はその前に伊勢神宮に参拝しているから、十分穢れていない。五十鈴川で禊しているから同じですね)