熊野古道巡礼を制度化した白河法皇

花山法皇が熊野御幸を行った約100年後、1090年から熊野御幸を始めたのが白河法皇です。

 

熊野古道巡礼の制度っておかしいですが、白河法皇以前の熊野御幸は単発だったようです。

花山法皇はもう一度行きたかったようですが、叶わず。それに比べて白河法皇は9回巡礼しています。

 

白河法皇は藤原摂関政治が崩れ始め、院政を敷くことで絶大な権力を持った人です。

これは、藤原摂関家の権力者が夭逝したことと、父である後三条天皇が摂関家に頼らない親政に取り組んでいた素地が実を結んだことにあります。

 

その権力を背景に、物心に帰依していた白河法皇は熊野御幸を行います。

それまでの宇多法皇、花山法皇は先達も少なかったと思います。宇多法皇はほとんど自ら行った開拓者のようなところがあり、花山法皇の時は先達である安倍晴明の力が大きかったのではないでしょうか。

 

しかし、力を持った白河法皇は違います。一回目の熊野御幸の時、初めて熊野三検校を任命します。熊野三検校とは、熊野別当とは違い、この熊野御幸を取り仕切る人です。

最初の三検校に選ばれた増誉という人は、園城寺の長吏(一番偉い人)を長く務めた人です。

 

園城寺(現在の三井寺)では現在でも山伏体験ができますね。

比叡山延暦寺とともに京都の歴史の古い修行の地です。

 

恐らくこの園城寺の山伏たちを連れて(その前の宇多、花山法皇とか比べ物にならないくらい)盛大に熊野御幸を行ったのだと思います。

そして、熊野三山に紀伊国の荘園を寄進したそうです。それまでの熊野三山より立派な社殿ができたと思います。

 

そして、没落した摂関家に代わって僧侶たちが平安京の政治に幅を利かせる院政の時代の象徴でもあったのだと思います。