※ここに書いてある話は正式な史料を調べて書いたものではありません。
992年。前回の宇多法皇が熊野御幸をして約80年後に花山法皇が熊野御幸をしています。
熊野古道中辺路にはこの花山法皇の話がよく出てきます。
和歌も詠んでいるし、古道沿いの一つの観光スポット「牛馬童子像」は花山法皇の姿を模したものだという事だそうです。
その牛馬童子像のある近露という集落の「箸折峠」や「ちかつゆ」の由来になっているのも花山法皇の逸話です。
花山法皇はいろいろな逸話の持ち主で、同時代に描かれた「源氏物語」のモチーフにもなったようです。
ちょうどNHK「光る君へ」が放送されていますが、いろいろ調べていると、描き方の難しい人物だなぁと感じます。僕が感じる花山法皇は、とにかく感受性の激しい人だったのだろうと思います。
あの頃の時代は藤原摂関政治がどんどん権力を掌握しつつある勢いのある時代ですね。
源氏物語や枕草子ができた時代ですが、いろいろな物語、説話が生まれていて、とにかく人が面白ければ針小棒大に伝えられているんだと思いますが、他方、花山法皇の熊野詣には欠かせない安倍晴明の時代でもあります。魑魅魍魎が跋扈する伝説の時代。
菅原道真の怨霊が落雷を落として復讐したり、平将門の首塚の伝説なんかもこの時期と近いです。
安倍晴明で有名な陰陽師とかもそうですが、とにかく呪力や念力、式神のようなものを信じる時代に熊野はとてもミステリアスな存在だったと思います。
花山法皇の歌を詠んでいると、とても抒情的で感受性に優れている人だなと感じます。
そんな感性で突然熊野御幸を始めた花山法皇。
藤原道兼に騙されて出家してsしまったとか、様々な説がありますが、花山法皇は結構感覚で動いてしまうところがあるので、本当のところは誰にもわからない説明のつかない行動の多い人です。
僕は花山法皇がしきたりを重んじる天皇としての生活が息苦しかったのではないかと思います。
(天皇の中でもめちゃくちゃ自由に行動していたと思いますが)
とにかくその花山法皇が少ない先達を連れて熊野古道を歩きます。
出家はしていますが、そんなに仏の心というより、冒険心の方が強かったのではないかと思います。先達の中には安倍晴明もいました。
還暦を過ぎた老陰陽師と33歳の壮年を迎えた花山法皇。若い頃は情熱的に色恋をし、激しい気性だった花山法皇は、那智で千日修行を行います。那智大社から大門坂へ降りる途中には「旧史跡安倍晴明橋の石材」があるので、この当たりで安倍晴明と花山法皇は修行を行ったようです。
修行の後、花山法皇は熊野権現のお告げを聞いて33の宝印を見つけ、中山寺に奉納した。
のが「西国三十三か所霊場」の再興した花山法皇の物語。
「光る君へ」を観ている方には花山法皇のキャラクターにギャップを感じていると思います。
僕は感受性の鋭く情熱的な花山法皇が浮世に疲れ果て、那智山で修行することで霊場を再興した。
という事かなと思っています。いずれにしろ、熊野古道の芸術的な色合いと、そのスピリチュアルな雰囲気を高めた人だという事は間違いないと思います。
