※ここに書いてある話は正式な史料を調べて書いたものではありません。
まず、最初に熊野詣を行ったのは宇多法皇だという記録が残っています。
宇多天皇、最初は臣籍降下したようですが、その後天皇になっていて、当時の天皇としては最初から天皇になるべく教育を受けていなかったのか天皇としての自信がなかったようです。
そんな中、執政を近臣に任せるところが多く、逆にいろいろな人を抜擢してきた天皇です。
また後継者の醍醐天皇が大人になと、醍醐天皇に譲位します。しかし醍醐天皇は体が弱かったため、譲位して法皇となった後も政治を任されていたようです。
譲位した後宇多法皇は仏教に傾倒します。
特に真言宗だったようです。その仏教心から、高野山や比叡山など霊場を行幸したようです。
その中に熊野三山があったようです。どうやら那智大社には御幸してないようです。
那智山青岸渡寺から始まる「西国三十三か所霊場」の巡礼の最初が花山天皇なのは、宇多天皇が那智大社に行幸してないからだろうと思います。
宇多法皇が熊野御幸をした907年というのは、菅原道真の事が背景にあるのかもしれません。
菅原道真は太宰府天満宮に祀られている学問の神様ですね。大変学問ができた人でしたが、身分が低かった所を抜擢したのが宇多法皇です。宇多法皇と菅原道真は大変仲が良く、道真の娘が宇多法皇の女御になったり、その妹が法皇の子供に嫁いだりしています。
菅原道真は右大臣まで出世しますが、901年に藤原氏一族と醍醐天皇によって太宰府に左遷させられます。宇多法皇はそれを止めようとしたが醍醐天皇の取り巻きに止められてしまうんですね。
道真の家族も流刑になってしまい、道真は失意のまま903年に太宰府で死去。
その後、菅原道真の家族が許されて京に戻ってくるのは5年後の906年なんです。
宇多法皇は菅原道真が失脚した事件のほとぼりが冷めた907年に熊野御幸をしています。
古代の人は熊野は「死者の魂が籠る所」だと考え、黄泉の国の入り口だと考えられてきました。
当時の人は菅原道真の怨念や天罰を恐れていたそうなので、鎮魂のために会いに行ったのかもしれません。
